中高生へ②
他人が持つ自分へのイメージと自分が考える自分とのギャップについて悩む中高生は多いかもしれない。
今日はそのお悩みに答えよう。
実は私は双子である。
人に自分が双子だと伝えるとよく写真を見せてほしいと言われるのだが、一度弟の写真と称して別人の写真を友人に見せたことがある。
彼女は私とその偽物が似ていると言い出し感激し始めた。私が提示した若き日の松居一代の写真と私がそっくりだと言って驚いていたのだ。あまりのことに私は彼女に本当のことを言えなかった。
真実がどうであるかということはあまり重要ではない。
人は誰かに対してそうであってほしいという幻想を信じたいのだ。そして信じたいように信じるのだ。
出身地とか年齢とか性別とかなんでもいいけれどなにかその人の特徴でイメージを作って、そうであってほしい人間像に当てはめていく作業が人間関係なのかもしれない。
だとすれば、イメージを否定しようともがくことは極めて馬鹿馬鹿しい行為である。自分にとって自分がどうあるかよりも他人にとって自分がどうあるかということのほうがはるかに重要なのだ。だから都合のいいように信じるし、都合の悪いところは忘れてしまう。
双子の「弟」だと伝えた事実が彼女の中ではなかったことになってしまったように。
ではどうすれば良いか。
答えは簡単だ。
他人からどう思われているかをつぶさに察知し、他人の期待通りの自分を作り上げることだ。例えば他人に「人でなし」だと思われているのだとすれば、人でなしのファッションを身にまとい、人でなしの話し方を身につけ、人でなしの考え方をマスターすればよい。簡単だ。
つまり、自分自身と世間との間にギャップがあるから悩みが生まれるのであるからそのギャップを埋めさえすれば悩みなんてなくなってしまうのだ。イメージを変えるよりもイメージに合わせて自分を変える方が楽なのだ。
それを演じるのが辛いんじゃないかという中高生もいるかもしれない。
それは中途半端に演じている証拠だ。友達の前でだけ演じたり、どっちつかずの演じ方をするから辛くなるのだ。そもそも演じるのではなく、心のそこからなりきることが大事なのだ。意識を集中させれば10日でイメージ通りの人間になれるはずだ。
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エセ書道家について
書道には剣道や柔道のようにルールがある。ルールを破ることは即ちその「道」に反するものである。
ルールに則さない字はただの字であって書道とは言えないのだ。
書道の本質は競技性にある。つまりこの字のハネが甘いとかはらいがどうとかそういった決まりごとの世界なのである。
エセ書道家はだいたいこの辺りの解釈を間違えている。つまり、書道を自己表現か何かだと勘違いしているのだ。書道はむしろ自己表現とは対極の職人技の世界であるにもかかわらず、自分のオリジナリティーを表現することに終始している書道家もどきが多すぎるのだ。そういう輩を私はエセ書道家と呼んでいる。
そういう奴らはだいたいテレビで顔を売り、個展を開き、作品を売ったり題字を書いたりして生活している。
私は本来書道とすら呼べない代物を高い額で売り飛ばす行為はもはや詐欺と言えるレベルなのではないかと思う。書道家を名乗る以上、書道と呼べる作品を売るのが本来の形だろう。英語と漢字を合体させた字や、「独創的」と呼ばれる単にでたらめな字のどこが書道なのだろうか。
浅はかな自己表現で書道の名を汚さぬよう直ちに「書道家」を名乗るのをやめてアーティストとかパフォーマーとかその辺のくだらない肩書きを名乗ってください。おままごとはその辺にしときなさい。
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中高生へ
私は嫌いな人と無理に付き合う必要はないと思っている。
嫌いなやつと上手くやったって所詮は嫌いな奴なのである。そして自分が嫌っている奴からは大体嫌われているのである。お互いに嫌い合っている人間同士が無理して付き合ってもお互いにストレスが溜まるだけなのだ。悪いことしかない。
「あの子に嫌われてるかもしれない。どうしよう」なんて悩みがよくある。中高生に多いのかもしれない。今日はそのお悩みに応えよう。
中高生に問いたい。お前はそいつのこと好きなのかよ、と。多分嫌いだろ。好きだったとしても嫌われてるんだからもう嫌いでいいだろ。
だとすれば何にも悩むことなんてないじゃないか。嫌いな人間にいくら嫌われてもノーダメージだろ。どうでもいい奴に嫌われてもなんともないからね。ゴキブリに嫌われたところで何も感じないだろ。それと同じだよ。
そいつに嫌われるとグループに居づらくなるのかもしれない。だけどお前が嫌いなそいつの意見に振り回されるそのグループのことをお前は好きなのかよ。嫌いだろ。グループもお前を嫌ってるよ。だとすればノーダメージだろ。
グループに居づらくなると学校に居づらくなるのかもしれない。だけどお前がグループを外れたことで誰かが近寄ってくるかもしれない。もし誰も来なかったとしたら、ひとりぼっちのお前に声もかけてくれないその学校のことをお前は好きなのか。大嫌いなはずだろ。だとすればノーダメージ。
これはどんな社会でも同じことだよ。嫌なら離れればいいし嫌じゃないなら続ければいいよ。シンプルだよ。私はそう考えるよ。
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価値観について
「ある」ってことと「ない」ってことは結局のところ同じだよね。
例えばなんでもいいけど「勇気がある人」と「勇気がない人」がいるとするよ。一般的には「勇気がある」方が良しとされているけど、人の性質としての優劣なんてないんだよね。本来どちらが優れているとか偉いとかそんなことは存在しないわけなんだよ。商品の色違いみたいなもんで単なる特徴の違いに過ぎないんだよ。良いとか悪いとかは社会の価値観に合ってるかどうかってだけなんだよね。で、「勇気がない人」が「勇気がある人」になろうと努力しても無理なんだよね残念ながら。「勇気がある人」が「勇気がない人」になれないでしょ。それと同じだよ。生まれ持った性質でしか勝負できないんだよ。
生まれ持った性質が社会の価値観と合ってない場合、自分の性質に合わせて社会の価値観を変えるしかないよ。それがいわゆる革命だよね。
真逆の価値観がぶつかり合うことで少し上に上がるんだよな。レベルアップするわけ。
多分そういう革命を繰り返して今の価値観があるんだね。だからよく人間が進化してるっていうけど人間は多分全く進化してなくて社会の価値観のみが進化してるんだよ。つまり人間が生きていくっていうのは社会の価値観をレベルアップさせるための作業なんだよ。
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フラッシュモブ
フラッシュモブって一体誰が得してるわけ?
やってる本人達はフラッシュモブでプロポーズしたり演劇やらダンスやったりして楽しいんだろうけどよ。まあやるのは別に構わないけど人様に迷惑かけてんだからさ。突然道路やら広場やらで誰も見たくないもんを見させられる人の立場も考えてほしいよね。見たくないもん見せられてしたくもない拍手を強制されるんだよ。
だからせめて恥ずかしそうにやって欲しいもんだよな。
「迷惑かけてすんません。でもわたくし皆さんに不快な思いさせたとしてもどうしても表現したいんすわあ。目立ちたいんですわあ。病気なんですよ一種の、、、」てなくらいの心持ちでやって欲しいよな。あいつらみんな「こんな珍しいもん見れてラッキーでしょ。」ぐらいの感覚でやってるからな。売れないダンサーなのか劇団なのか知らないけどさ、お前のダンスやら演劇やらに興味がないから観に行かないんだぜみんな。それをお前の方からゲリラ的に勝手に見せられてなんて言えばいいんだよそれ。スーパーでうんこ売っててさ、みんな要らねえから買わないのにうんこ側が無理やり玄関先までついてきちゃったみたいな。サービスですからみたいな。そもそも要らないから買わなかったんですけどっていうね。それでも無下に断ることは出来ないからお情けでお汁粉にでも入れてやるかみたいなね。
一番ワケわかんねえのはプロポーズね。男の方が突発的集団ダンスに突然加わって最後に花束持ってプロポーズっていうあれね。演劇やらダンスやらに関しては見せたいって気持ちはわかるんだけど、プロポーズを見せたいって意味わかんないじゃん。変態だよなそれはもはや。変態なら堂々としてんなよ。せめてコソコソやれよ。自分の変態性を恥じろよ。ディズニーランドのシンデレラ城の前プロポーズとかもよくあるけどあれもおんなじだよな。
ちょっと話はかわるけど、公開プロポーズってかなり卑劣な行為だよな。ダンサーやら何やらの大人数が関わってて全員の前で断るって相当難しいだろ。世の中でいじめの次に卑劣な行為だわ。まあいいわ。
とにかくフラッシュモブやりたいなら申し訳なさそうに恥ずかしそうにやれって話。万引きやってるくらいの感覚でやりなよってことよ。褒められたことじゃないんだからさ。
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自然
東京オリンピックの競技予定地が野鳥の宝庫だという理由で競技場の建設への反対運動が起こっているそうな。別に反対運動をすること自体にはなんとも思わないのだけれど、どうもそのやり方に私は納得がいかない。
彼らは「自然の為に」なんていうプラカードを掲げて競技場の建設に反対しているみたいなのだけれど、本当にそれが理由なのだろうか。人は自然の為に自分の休みを削って反対運動をしてあげるほど心の美しい生き物なのかしら。
彼らは本音を隠している。本当は「自然を守ることによって利益を得る自分たちの為に」反対運動をしているんじゃないか?つまり、反対運動をしている人たちは、「自分の為に」っていう最も大事な部分を隠して反対運動をしているわけ。例えばバードウォッチャーだったら、野鳥たちがいなくなったら自分たちがバードウォッチングを楽しめなくなってしまうだろう。写真家だったら、珍しい鳥の写真がとれなくなってしまうかもしれない。近所の人にとっては、木陰で気持ちの良い昼寝ができなくなるかもしれない。それが本音でしょう。それは自然のためじゃなくて自分の為でしょう。
別にその本音自体を責めるつもりは全くない。だけど、本当の理由を隠して反対運動をすることがとても卑怯だと思うわけよ。だって、オリンピックなんていわば趣味の祭典じゃないか。生きていくには全く必要のないくだらない趣味なんだから、自然保護っていうなんとなく立派で人間のためになりそうなことを言われたら分が悪いに決まってるよ。一見立派に見えることに隠れて自分たちの意見を通そうとするなんて卑怯じゃない。
こんなことを言うと、「私は本気で自然を愛しているからこそ保護したいんです。」なんて言って私に噛みついてくる人がいるかもしれない。だけど本当にそうなのかしら。自然を愛してるって言ったって自分に優しい害のない自然が好きなだけでしょ。地震や津波を愛しているわけではないでしょ。自然を守るって言ったって結局自分たちに都合の良い自然を守るってことでしょ。自分たちが生活しやすい程度の自然を守るってことでしょ。虫が住みやすい地球を作るために虫の権利を作るわけじゃないでしょ。モグラの為に太陽を破壊してあげる計画でも立ち上げるのかしら。仮にそのような人間がいるとしたら、その人は自然界の人間という生物にとって大きな脅威になるはずよ。自然保護が行き過ぎることによって人間の生活は脅かされるのよ。考えてみたらそんなこと当たり前なのよ。だって人間だって自然界の一部に過ぎないのだもの。人間は自然界の中で他の生物や植物や環境やらいろんなものと戦いながら生きているのよ。自然界のライバルなんかを保護してる余裕なんてほんとはないのよ。そんなことをしていたら人間の縄張りを脅かされるだけなのよ。どうして自然と人を分けて勝手に自然に対して上から目線で接してしまうのかしらね。それは、自然を保護することで自分が気持ちよくなりたいからよ。人間はいいことをすると気持ちよくなる生き物なのよ。気持ちよくなるために人間の立場が脅かされるかもしれないのに自然を保護したがるのよ。馬鹿なのかしら。
とにかく、私が言いたいことは自然保護なんて一見立派に見えるけれど結局は人間の自己満足に過ぎないってことなのよ。自然保護だって数あるくだらない趣味の中の一つに過ぎないって事なのよ。別にそれが悪いって言ってるんじゃないわよ。だけど他の趣味を一段高いところから見下ろして、さも自分たちが特別であるような振る舞いはやめてほしいの。自然を保護して楽しむ趣味もスポーツを楽しむ趣味もどちらも数多くある趣味の中の一つに過ぎないのよ。どちらが上でも下でもないのよ。
だから、オリンピックの建設予定地反対にしても、「自然の為に」じゃなくて「我々の為に」と堂々と主張すればいいのよ。「バードウォッチングがしたい!」「珍しい鳥の写真が撮りたい!」もしくは「自然保護をして気持ちよくなりたい!」ってちゃんと自分の欲望を丸出しにして主張すればいいのよ。そうすればオリンピック対自然保護の、趣味対趣味の正々堂々とした戦いが見られるんじゃないかと思うわ。
今回の件に限らず、対立っていうのは結局欲と欲とのぶつかり合いなのよね。そういった欲に美しくて肌触りの良いカバーをかけて本音が見えないようにしているの。その美しいカバーに釣られて近づいてきた人だって所詮は美しい行動をしている自分に酔って気持ちよくなりたいだけなのよ。私はそんなカバー外して戦えばいいじゃないって思うわけ。人間なんて元々猿なんだから野生丸出しで汚い姿を思いっきり晒せばいいのよ。きちんと野生の自分を受け入れて小細工なしで戦ってほしいわね。自分自身が自然の一部をを受け入れてこその自然保護なのよ。
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